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何者でもないから何者にもなれる。影でお店を支える野澤一平のスタイル。

2022.08.16

「『一平さんは何をやっている人なの?』とよく聞かれるんだけど、何やってるんだろうね。笑」
と朗らかに話し始めるのは、当店でサービスから厨房まで全てのポジションを任されている野澤一平さん(34)。

「岩澤が他で手が離せなければピッツァ焼くし、前菜のオーダーが入ればやるし、ホールが忙しかったら自分が外に出るし、便利屋さんみたいな感じですね」

実は彼が石神井公園を代表する店PIZZERIA GITALIA DA FILIPPOの縁の下の力持ちの存在であることは意外と知られていないのではないだろうか。

当店のオーナーシェフである岩澤に学生の頃に出会い、彼についていくと青年ながら自身に誓ってから15年がたった今。彼は当時の岩澤の年齢と同じくらいになった。

「今の自分と比べても、まだ当時の岩澤には叶わないけれど」と語る彼は、岩澤の背中を追いかけながら、影武者のように店を支えているのだった。

■師との出会い

ー岩澤さんとはどのようなきっかけで出会ったのですか??

僕が19歳の頃、専門学校の研修に行ったピッツェリア(SALVATORE CUOMO 以下サルヴァトーレ)の店長が岩澤でした。

研修の初日に、チーズを切っていたらそのまま手を切って、救急車で運ばれるような大怪我をしてしまって・・・。貧血で倒れてそのまま病院に運ばれたという印象深い初日でした。

怪我が治った後、もう一回研修させてほしいと頼みに行ったんですね。
研修初日からやらかしてしまったので、もう断られるかなと思ったのですが、彼はいいよと受け入れてくれたんです。

そこからの付き合いになるので、15年が経ちましたね。

毎朝、毎週定休日の木曜日にお店に行き、一人ピッツァの生地を仕込む

ーなぜ一平さんはそのお店を選んだのですか?

僕はね、たまたまなんです。学校の近くにあったピッツェリアがサルヴァトーレだった。
当時岩澤が30歳。

ナポリピッツァ世界大会で一位をとった岩澤の元には、当時から彼の元で研修したいと多くのオファーがある中で、名声も地位も何も知らない僕が偶然やってきました。

岩澤の凄さも何も知らない奴だったけど、一緒に働く中でピッツァイオーロ(ピッツァ職人)として世界1位を獲りたいという思いよりも「こんな男になりたい」と強く思うようになりました。

専門学校の研修から始め、このまま就職したいと申し出て、新卒でその店に入社しました。

ーなぜ「岩澤みたいな男になりたい」と思ったのですか?

彼は料理の知識もありその点でももちろん尊敬していましたが、なにより人を絶対に見捨てないんです。
当時から下の子たちに挑戦をさせていたんですよね。研修に来た僕にも色々なことをやらせてくれました。
さまざまな性格や人種や年齢のスタッフがいる中で、店長という立場はみんなを常時管理しなければいけませんが、そこをうまいことマネージして、やる気を出させるようなカリスマ性を感じました。

それと、当時から飲食の中でも特殊な料理人でしたね。
『ちょっと店を空けるね』と言って突然店からいなくなったと思いきや、見たこともない魚を持ってきて『これ料理に出して〜』と、いきなり言ってくる変な人でしたが、この人についていけば、自分は何かを学べると思いました。

■「料理といえば一平ちゃん」

ー 一平さんは、いつから料理に興味を持つようになったのですか?

小学校くらいからかな。もともと何かを作るのが好きで、工作や、家庭科の授業を楽しみにしている少年でした。

料理は、厚焼き卵をおばあちゃんから教わったのが最初です。作ったものを食べて人が喜んでくれるのがいいなと思って。血圧高いおばあちゃんのために毎日卵焼きを作っていました。

あと、母が教えてくれたおでんは代々伝わる我が家の味として、ずっと作っています。卵とこんにゃく、豚バラしか入っていないシンプルなものですが、出汁を染みさせるために3日間くらいかけて作るんですよね。

初めは友達からも男の子が料理?と疑問を持たれたけれど、友達が家に遊びに来る時や遠足のときなど、ことある毎にクッキーを焼いてみたり、カップケーキを作ったりするうちに、次第に男友達もおいしいと言ってくれて、気づけば「料理といえば一平ちゃん」と言われるようになっていました。

ー学生時代はどのようなことを学んでいましたか?

高校卒業後は服部専門学校に通っていたので、洋食、中華、和食、お菓子など一通り学びました。当時はやっと街中にピザ屋さんがでてきた時期で、日本でピッツァは一般的に普及していませんでした。ピッツァ職人になりたいと学校の先生に言うと「何寝言言ってんだ」と反対されました。

周りはフレンチの断面が綺麗なテリーヌや、中華の彫刻などを卒業制作として作る学生が多かった中で、自分は他の料理にも、賞レースにも全然興味なくて「僕はピッツァやります」と断言していました。
ピッツァを重ねたウェディングケーキを卒業制作の作品として作りたいと言ったら「そんなんで賞取れるか」と先生から怒られたり。

ーフレンチやイタリアンに進む人が多い中で、なぜピッツァだったのですか?

料理人の中でも特殊な何かを職として身につけたいと思って、ピッツァ職人になると決めました。

サルヴァトーレで働く前は、ナポリピッツァを知らなくて。それまではガス火で焼いてたものや、薄い生地のローマピッツァや、ドミノなどのアメリカンピザばかり食べていました。
ナポリピッツァという文化があることを知ったのは、研修に行き始めてからでした。

「窯一つでこんなに美味しいものができるんだ」と感動したのを覚えています。
日によって生地の具合も違うし、人によって、焼き方も味も変わる。
「これは面白いな、他のコックにはできないことだな」と思って、そのままピッツァの道に進むことに決めました。

■厳しい店長時代

ー ピッツァの道に進んでからはどのような変遷があったのですか?

自分がサルバトーレに就職して1〜2年経ったのちに、岩澤は独立するために退社しました。彼が退社する時に「一緒に僕もやめてお手伝いします」と言ったのですが「まだ実力も経験もないからこの会社でやれることをやりなさい」と返されて。
自分はその後10年間サルヴァトーレに勤めました。
一人前のピッツァ職人になるために色々練習をしながら、岩澤だったらこうするかなと、彼の影を追いかけて働いていました。

ー前職ではどのような経験をされたのですか?

ある時、売上も社内の雰囲気も最悪の都内のお店の店長を任されることになりました。色々なスタッフがいる中で、管理するのはやはり大変だったのですが。

弱視の元パン職人が従業員として入ってきたことがあったんです。
「パンはどうやって焼いているの?」と聞いたら、「時間と、感覚と、匂いで焼いています」と。
「ピザも、料理も勉強したいです」と言うので、「普通のやり方は教えないけど、自分なりにできるやり方を一緒に見つけよう」と言って教えましたが、まあ苦労しましたね。
でっかい目玉クリップがパスタの中入っていた時があって、「いやちょっと見えなかったんです」と言われると「いや見えないんだよな〜わかった」と言うしかなくて。笑

色々苦労したけど、結果は店舗の売上も1.5倍に伸び、自分が辞めることにはスタッフも安定し始めました。
管理職を経験したこの数年が今のスタンスに生きているし、そこで学んだことも大きかったですね。

今ちなみに弱視の彼は、ピッツァイオーロになって当時の隣の店舗で料理長をしています。

生地を仕込む担当は当店では彼だけ。

ーどうなったら、一人前のピッツァ職人と言えるのでしょうか?

僕はまだまだです。世の中にマエストロと呼ばれる人は数多くいて、自分はその人たちの考えにはまだ及んでないし、見ていても、実際に食べても自分との差を感じます。

ただ、まだまだだなと思っているけれど、少なからず岩澤に任されている部分もあるので、そこに関しては自信とプライドを持って誰よりも美味しいものを作ってると自負しながらやっています。実際どうだかわかんないけどね。

PIZZERIA GITALIA DA FILIPPOで働くこと

ー今FILIPPOで働く中で意識していることはありますか?

自分が言わなきゃいけないという時は、自分が言います。厨房に二人いる先輩の口を開かせることじゃない時や、ホールに対しても同じです。
ホールの新人さんに対して、こうしたほうがいいんだろうなと僕が客観的に見て思う部分は、公では言わないようにしています。その子の上にいる人が言わないと意味がないからね。

外部とのやりとりにおいても、自分が言うべきこと言うべきでないこと、やるべきことやるべきでないことの線引きは心がけています。

ー 何をモチベーションに飲食店で働いていますか?

結果的には「何かをつくる」ということになるのかな。
料理を作ると言うのが最初のモチベーションとしてありますが、今はまちづくりや店づくりに力を注げるようにしたい。

お店として向かっているところに向かって、良い町や店を作りたいという思いに伴走しながら、それに対して自分が協力できたらいい。

ー 一平さんは一歩引いて、お店やメンバーを見る。穴を綺麗に埋めてあげるみたいなポジションですね。

自分の癖や特性は理解しているつもりで、部下や人に対しても、その人を見るようにしています。

例えば、何かを指摘された時も、「なぜこの人はこう言っているんだろう」とか「この人は本当はこうしたいんだろう」とか、相手の良いところも苦手なところも客観的に見るようにして、営業中にキツそうだと思ったら、そこにフォローに行くようにしています。

ー どんな人がこのお店で働くのに向いていると思いますか?

日本が好きな人がいいんじゃないかな。日本の文化や、日本の食材。
日本全体のことを考えた動きをFILIPPOではしようとしているので、「料理やピッツァ学びたい、イタリアン大好き」というだけだと、フォーカスしているところのギャップが激しすぎて続かないかもしれません。

前提として接客や料理が好きな人だけど、日本の食材、文化、未来を考えられる人が合っていると思います。

■番外編ー岩澤正和オーナーからのメッセージ

どんな人材も見捨てない方法を教えてくれたのは同じ古巣のサルヴァトーレさん。

人には得意不得意があります。
気持ちがあってもついてくることができない人はふるい落とされる業界の中で、僕自身も鞭だけの期間もあり、挫折を味わったこともありました。

それをわかっている事が重要で、その期間を耐えたからこそ今があります。
周りに仲間や先輩がいたからこそ、謙虚になることができて、最終的にやりたいことをできるようになる。
だから厳しいところで挫折することも成功の秘訣。そこが本当に重要なんですよね。

一平さんにはその秘訣を体験させずに新入社員の時に甘やかしてしまって。
彼は僕と違って一流料理学校卒業でサラブレッドだからこそ、美味い料理を作る基礎を持っている。
それに伴って僕よりすごい人になってもらわないとね。

今は仕込み段取りに抜けがありすぎるけどそのうち開花するよ。
仕込み9割営業1割をしっかりやれば社会の役に立てる。

あと誰よりもメンタル弱くて挙動不審になるけれど、誰よりもその弱い部分と寄り添える人材であることはこの後追い風になる。
焦ってつぶれるより遅咲きの料理人でいいんじゃないかな。ー平は皆に愛されているしね(笑)

一平一人で大きくなろうとするとすげーちっちゃくなっちゃうけど、あの家族と仲間がいれば大丈夫。
人一倍器の大きな男になっちゃうでしょう。

それを見るのが俺の楽しみですね。
乞うご期待です。

■編集後記

「上善水の如し」という老子の言葉がある。「水は万物を助け、育てて自己を主張せず、だれもが嫌うような低い方へと流れて、そこにおさまる」という意味だ。

水は四角い器に入れれば四角い形になり、丸い器に入れれば丸い形になる柔軟性をもつ。また、水は大地を潤して草木を養い、喉の渇きも癒やしてくれる人間や自然界にとって必要不可欠な存在だ。

1時間の野澤一平のインタビューを終えて私が彼に感じたことは「水」だった。

営業日の朝は誰よりも早く出勤し、休業日の木曜日にも店に来て、外からは決して見えないところで一人ピッツァ生地を仕込む。営業中は誰にも言われずに穴を見つけてそこを埋めに入る。

「岩澤には今でも20歳くらいの感覚で扱われてる。多分おれが50歳になっても変わらないと思う」と笑いながら話す彼の柔らかさは、まさに「水」のような透明感をも持ち合わせていた。

ライター・写真撮影/ 井上美羽

FILIPPOでは熱い思いをもつ仲間たちを募集しています。
興味のある方は、こちらまでお問い合わせください。
▷▶︎pizzaiwasawa@yahoo.co.jp (岩澤正和)

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