年収880万から時給980円のアルバイトに転職した廣瀬公彦。「それでも料理人になりたかった」
開放的な厨房の一番奥からお店の全てを見渡しているのは、当店の将来の料理長であり、FILIPPOムードメーカーの廣瀬公彦さん(36)。InstagramやYoutubeなどのSNSも使いこなし、毎日ユーモアあふれる投稿をあげているのも彼だ。面白おかしい投稿を楽しみにしているフォロワーは多いのではないだろうか。
一度目標を決めると目標達成に向けて突き進む彼は、ナポリピッツァ世界大会で日本人2位、リゾットで日本2位、パスタで世界4位と、料理の数々の賞レースでも実績を残している実力派。
「FILIPPOに骨を埋める覚悟で料理を作る」と断言する彼の確固たる熱意をお届けしたい。
■「絶対に料理人になる!」
ー いつから料理人を目指すようになったのですか?
大学時代にカラオケ&ダーツバーで4年間接客アルバイトをやっていて、卒業後も飲食に進みたかったんです。
ただ、急に大学の奨学金を返さないといけない状況になってしまい、まずは稼ぐために飲食を諦め、不動産の営業職につきました。2年半で全額返金して、26歳の終わりにやっと昔からの夢だった飲食を始めるために会社を辞めました。
ー ピッツェリアで働きたいと思った原体験はありましたか?
小学校の時に、下北沢のお店のブラッドオレンジジュースとマルゲリータとカルボナーラの美味しさに感動して以来、ずっとイタリアンが好きでした。
特にピッツァが焼きたかったんです。シンプルに焼いている所作がかっこよかった。
大学時代から色々なピッツェリアを食べ歩いていて、食べに行くたびに、いいなーと思って厨房を眺めていて。だから僕デビューしてからは結構スムーズでしたよ。お客さんとしていろんなお店の厨房を見てきたので、仕事内容も何となくすぐにわかって。未経験即戦力(ドヤ顔)。
■振られ続けても、諦めないしたたさ
ー このお店を知ったのはどのようなきっかけだったのでしょうか?
初めて岩澤を見たのは電車の吊革広告でした。彼がサルヴァトーレに勤めていた時代「ナポリ世界大会に挑む」という広告が出ていたのを見かけました。
そして次の出会いが、25歳のサラリーマン時代にFILIPPOに食べにきた時でした。まだオープンしたばかりで、和菓子屋の居抜きだったのでその面影が残り、見た目は和菓子屋みたいなピッツェリアでした。
当時都内のピッツェリアの大半は食べに行っていたのですが、ここにきて「あ、吊革の人だ!おぉ、うまい!」と感動しました。
目黒に住んでいたのですが、母と姉がたまたま練馬に住んでいたんです。これはチャンスだと思い、母と姉に一緒に住もうと言って、会社を辞めて引っ越しました。
ー つまり、FILIPPOで働くために引っ越したのですか?
そうです。ただ、当時は飲食未経験者だったのできっとFILIPPOでは雇ってもらえないと思い、まずはチェーン展開している薪窯のピッツェリアにアルバイトで入りました。
不動産営業時代は年収880万くらいあったのですが、そこから時給980円の最低賃金で働き始め、税金払うだけでカツカツの生活になりましたね。
でもまずはここでピッツァを焼かせてもらうまでやろうと、3年粘ったんです。
ー なぜ社員ではなくアルバイトだったのですか?
FILIPPOで働きたかったからです。社員になることもお願いされましたが、辞めづらくなるので断り続けていました。
そこでは週6〜7日でシフトに入って、半年くらいしたら焼かせてもらえるようになり、完全に僕の思惑通り。(笑)
2年間ガッツリ、毎日かなりの枚数のピッツァを焼いていました。
ー そこからどのタイミングでFILIPPOに入ったのですか?
野間(現在系列店OPPLA’! DA GITALIAの料理長)がFILIPPOに入ってきたんです。彼が入ってから劇的に料理が美味しくなったんですよね。僕の中ではその瞬間ここに決めたと思いました。「岩澤さんと野間さんが2人いるこのタイミングで絶対に入りたい」と。
ただ、当時スタッフを募集していなかったので、どうしようかと。
アミオアージョというイタリアンレストランのオーナーさんとも仲良くさせていただいていて、よく食べに行っていました。そのお店で北海道小麦100%の小麦粉の袋が見えて、FILIPPOと同じ小麦粉を使っているなと気づきまして。知り合いなのかなと思ったんですね。
聞いてみると「おぉ岩ちゃん知り合いだよ〜」と。「あぁそうなんすか〜、今度一緒に食べにいきましょうよ〜」と誘って。
僕は彼に常々FILIPPOに入りたいと言っていたんですね。なので狙い通り「岩ちゃん入りたいって言ってるからさ、入れてあげてよ!」とその場で岩澤に紹介してもらったのですが、まあ断られるんですよ。
その時僕は、今日は押してもダメだと思い「では、僕のお休みの日に研修という名目で手伝いにいかせてもらっても良いですか?」とお願いをして、週1で3〜4ヶ月ほど研修させてもらえることになりました。
ー なんという荒技。(笑)
来るたびに「働かせて欲しい」と岩澤に言っていたのですが毎回やんわり断られるんです。
もうダメなのかな、と半分諦めて当時のマネージャーに相談すると「ちょうどね、今あの子辞めるからチャンスだよ」と後押ししてくれて。岩澤に話に行くと「いやね〜、まだ辞めるかわかんないから」と言われてしまうんです。
その女の子にも話に行くと「私やめるんでチャンスですよ」と言ってくれたので、いよいよ前の店を辞めたんです。「辞めたんで入れてください」と言うと、遂に「わかった」と。
ー 長い道のりでしたね。最初はサービスから入ったのですか?
そうです。サービスをやっている時も厨房の先輩に気に入られたいので、人一倍頑張るじゃないですか。厨房のこと気にしながら人一倍やって、食事にも誘いまくって。
入社して3ヶ月ほど経った頃、6年前くらいですかね。たまたま厨房の先輩が辞めることになった時に、すぐさま手を上げてなんとか厨房に入れてもらえることになりました。
■人生が変わったナポリ大会
ー 何年も夢見たFILIPPOでの厨房生活が遂に始まりましたね。
厨房生活が始まってすぐに、ナポリで世界中のピッツァイオーロがあつまる世界大会に参加させてもらえることになりました。
英語もイタリア語もわからないので、同じ便の人を探して金魚の糞みたいについて行こうと思い、トランジット12時間の間トルコ空港で日本人に話しかけまくり、ある日本人の方にくっついてイタリアに行ったんです。
その方がなんと京都のピッツェリアの巨匠で、日本人選手団の団長だったことが後からわかったんですよ。イタリア現地では彼の周りの巨匠たちにもお世話になりっぱなしで。
僕は岩澤が予約してくれていたホテルの場所も分からず、ホテルのチェックインの仕方もわからなかったので、日本人の巨匠のホテルにルームシェアさせてくださいとお願いをして。色々なところに連れて行ってもらいました。
そしてなんと大会では日本人2位、世界7位を獲れて、ラッキーセブンだと興奮して帰ってきました。
ナポリ大会を機に業界の繋がりもできて人生が変わりましたね。当時お世話になった巨匠たちは命の恩人であり、今でも仲良くさせてもらっています。
ー ナポリ大会の前後で意識は変わりましたか?
それまでは「ここで働いて、技術を盗んで35歳までに独立してやりたい」という邪な考えでしたが、この経験を機に「岩澤に恩返ししていかないと」という考えに変わり今に至ります。
ー 岩澤さんは、おそらくその邪な心も見抜いていたのかもしれませんね。今後独立願望はないのですか?
一切ないです。上司にも恵まれ料理を教えてもらえたこと、僕の天性の勝負強さが出たことで、賞レースも入賞できましたが、今年36歳になって、もう独立願望もなくなりました。これからは岩澤と一生やっていこうかなと。
ー なぜここまでこのお店に惹かれたのでしょう?
シンプルにピッツァの味でしたね。あとは毎回来るたびに、岩澤がフレッシュに話をしてくるんです。僕のこと覚えていないから毎回フレッシュなんですよ。毎回、熱いんですよ。
「あー熱い人だなあ」と惹かれましたね。
■FILIPPOに骨を埋める覚悟で
ー この先はどんな目標を立てているのですか?
まずは料理長としてやらせてもらえてるんで、料理の方で突き抜けないとなと。今年は数ある大会やコンテストに全部出て総舐めしてやろうと思っています。(キメ顔)
今後は決まっていて、この店に骨を埋める気でいます。
5年後の41歳には、FILIPPOにとって有逸無二の存在になります。あの時任せてよかったなと思われるように、それまでは料理に集中しようと思っています。
ー Youtubeも始められるとか?
はい!自腹でパソコンなども全て機材も揃えて、基盤は固まりました。もう動いています。料理動画や慈善活動の動画も撮っていくので、会社として広告収入入れるまで走り続けます。
ー 年数まで目標をはっきりと決めているのですね。
何歳までにここまでやらないとだめだと自分の中であって、41歳には「廣瀬なら大丈夫」と同業の人たちから言ってもらえるような存在に、上からも後輩からもある程度認知されている存在になっている予定です!
42歳からは育成計画。現場重視で若手の育成に注力して、55歳で現場を引退したくて。
そのあとはこの会社に所属しながらキッチンカーで全国回りたいんです。温泉が好きなので温泉入りながら全国各地に行きたいですね。
若い子たちがここで頑張っていける基盤を岩澤と一緒に作っていけたらなと思っています。
■オーナー岩澤正和
邪悪な心も読み取れたらそりゃ断りますよね。笑
研修も来るっていって来なかったり、折角廣瀬でも泊まれる、大会にも丁度良いホテルをとったのに泊まらなかったり、直ぐボロが出るんですよ。
これが廣瀬。
でもね最高の男なんです。
何が最高かって、なんでもプラスに切り替えることができる天才なんです。
今はもちろん時給980円ではないけど安月給でもプラスに切り替える男なんですね。
邪悪な心はもともとないのにそう見せてしまう分、損をするのですが、ピンチをチャンスに切り替えるパワーは誰よりも持っている。
嘘でも一生ついてくるって言われたら、自分には彼の家族を幸せにする責任があります。
経営者は従業員の子どもが大きくなる時にかかる費用等をリアルに計算します。
前職よりも最終的に成功させてあげようと思うのが当たり前なので、お金より大切なものを見つけた人には、結果的にその見返りを作れるように自分は頑張ります。
この記事を読んでいる全国の若者に向けて言いたいのは、給料や福利厚生で会社を判断せずに、嘘でもいいから社長に一生ついて行くって言ってみてほしい。
3年働いて次に行くと決めている人材よりも早い段階で、実は社長も君の人生設計をしてくれるから。
たとえ嘘でも従業員が腹をくくったら、元々腹をくくっている社長は嫌な思いは絶対にしないし、させません。
まだ料理長として認めたわけじゃないんだけどね。でも自覚はあるからこのままだと確実に料理長になるよね。
器用に見せかけて不器用だけど、そこが人として最高で廣瀬の魅力ですよね。
そんな最高の男なんです。
皆様笑いながらみてあげてください。
よろしくお願いします。
■編集後記
自分の中で何事もポジティブな方向に変換できる力は、類まれなる彼の能力だ。
「オーバーリアクションなのでまだ本当に信用できていないところもあるんですが、恐らく廣瀬の事なんで信用させるでしょうね。」と岩澤さんが言うように、自信満々な彼の言葉には嫌味が一切なく、ひたすらにポジティブだからこそ、周りは笑いながらもつい応援したくなるのだろう。
常に上だけを見る彼を前にすると、嫌なことも忘れて、思わず顔を上げて笑ってしまうのだ。
そうして彼は今日も厨房の奥で目を輝かせながら包丁を握り、目標に向かって走り続ける。
ライター・写真撮影/ 井上美羽
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