北久裕大が地元農家と共創する限界集落の食の未来
「農家さんから適正な格でかいとる。その素材が生きる料理を作りたい」
2020年3月、愛媛県で一番小さな町、松野町のさらに山奥にある滑床渓谷の麓でピッツェリア「SELVAGGIO」は始まった。人口270人の限界集落で、都心とほとんど同じ価格帯でレストランをオープンすること自体が、大きな挑戦だった。そのレストランの料理長を任されたのは、当時28歳の北久裕大シェフだ。彼は、東京練馬区石神井公園にある名店「PIZZERIA GTALIA DA FILIPPO」に勤めていた。「SELVAGGIO」は、「PIZZERIA GTALIA DA FILIPPO」の3号店としてオープンし、地元では本格的なピッツァが食べられると話題に。休日は地元からも、遠方からもお客さんがやってくる人気店となった。
オープンしてすぐに軌道に乗るはずだったSELVAGGIOを襲ったのはコロナウィルスだった。SELVAGGIOはオープンからわずか2週間で休業を余儀なくされたが、地元の生産者と同じ目線に立てるようになったのは、「コロナのおかげだった」と北久シェフは言う。
SELVAGGIOの4年半を振り返りながら、北久シェフがここで経験したこと、伝えたかったことについて、インタビューをした。
コロナのおかげでつながった地元農家
― SELVAGGIOの4年半を振り返ってみてどのような軌跡がありましたか?
最初は旬の地元の食材を使って東京の練馬の店と同じメニューをやっていく想定でした。
レストランがオープンするという話を聞きつけて、すぐにきてくれた地元のおじいちゃんおばあちゃん達が多かったです。しかし、好調にスタートしようとした矢先、オープンから2週間で休館を余儀なくされました。でも、それがかえって僕にとってはよかったです。その時間、じっくりと地元の生産者まわりをすることができたからです。のぶりん農園の毛利さん、森の息吹の森下さん、まっちゃんトマトの松比良さんなど、その時に出会えた農家さん達は今もSELVAGGIOの食を支えてくれている人たちです。すこしずつこの町の人を知りながら、町の農家さんとつながっていくことができました。
― 地元の農家さんと話すことで、何か気づきはありましたか?
みんな、誇りを持って野菜を育てていました。でも、これだけ良い質の食材を作っているのに、お金を払わせてくれなかったんです。「いいよー、あげるよ」って。たとえばピッツェリアにとってバジルは重要な食材の一つですが、「バジルなんてタダでいいよ」と言ってくれるんです。もちろんありがたいのですが、僕はその食材を買うことで、価値をつけてあげるのがレストランの役割だと思っていたので「来年も作って欲しいので、買わせてください」と頼んでお金を受け取ってもらいました。彼らの作っているものに適正に価値をつけてあげないと、次に繋がらないと思ったのです。
― 限界集落でレストランをやる上で、何かハードルはありましたか?
都会でやっていた時のように、料理を先に決めてしまうと、食材が揃わないことはしょっちゅうありました。料理を先に決めるスタイルでは成り立たないので、途中から、スーパーに行くのではなく、道の駅での買い出しをメインにし、まず食材を買ってから料理を考案するというスタイルに切り替えました。
―料理への変化はありましたか?
農家さんから適正な価格で食材を買取り、その素材が生きる料理を作りたい。と強く思うようになったのも、自分の料理スタイルが大きく変わったきっかけです。
オープン当時はまだ自分の技術不足が顕著で、それを隠すために調味料を足したり、足し算の料理をしていました。でも、ここの美味しい食材を生かすためには引き算で料理をする必要性を都会にいる時以上に強く感じるようになりました。決められた料理を作るのも好きで、練馬のお店では決まったメニューをこなしていました。ただ、ここにきて、即興でも料理を考えられるようになりました。
そしてやっと最近になって、自分の料理にも自信がついてきたように思います。たとえば、前はコースの最初は前菜の盛り合わせを出していましたが、途中から一品一皿ずつ出すスタイルに変えました。食材そのものの味を殺さないように、シンプルに出すからこそ、お客さんには見えない部分で手を抜かずに調理しています。
サステナブル・レストランへの挑戦
― 2023年には日本サステイナブル・レストラン協会の調達賞を受賞されました。サステナビリティへの取り組みには特に力を入れていたように思いますが、何かきっかけがありましたか?
協会に加盟して、セミナーを受けるようになったのですが、最初は「サステナビリティ」って身近に感じられないし、使命感も感じづらくてあまり自分の中に入ってこなかったんです。でも、サステナブル・シーフードに関するセミナーで「MSC認証」「ASC認証」の勉強をしたときに、初めて自分の仕入れ先を見直すことをしてみました。海の環境を知ったことをきっかけに、興味を持ち始め、ちゃんと環境問題にも向き合いたい、と思い始めました。それから出会ったのが宇和島で鯛養殖業を営んでいる株式会社タイチの徳弘多一郎さんです。彼の影響は僕にとって大きかったです。ちょうどASC認証の勉強をしていたときに、タイチロウくんのことを知りました。早速話を聞きに行ってみると、日本発のシーフードに関するエコ・ラベルであるMEL認証を取得するという話をされていました。知らないことがたくさんあり、シーフードだけじゃなくてもっと勉強したいと思うようになりました。
― レストラン作りにおいて大変だった点はなんですか?
スタッフ教育でした。サステナビリティのことも、セミナーで勉強したことをどのようにスタッフに伝えるといいのかも悩みました。動き方や考えること、大事にする優先順位が都会のレストランとも変わってくるので、それを伝えることが難しかったです。お客さんに自分たちのやっていることを伝えていくためにも、まずはレストランで働くスタッフ達に、どういうことに気をつけているのかを理解してもらう必要がありました。
地方でレストランをやる意義
― SELVAGGIOを開店して最初は手探りだったと思いますが、目標はありましたか?
「地元の人が応援してくれるレストラン」を目指していました。そしてそれは今も変わりません。2024年8月で東京に戻ることが決まり、地元の人にご挨拶をしようと思い電話帳リストを開くと、自分が思っていた以上にお礼を言いたい人がたくさんいることに気づきました。最後、たくさんの常連さんや古い付き合いの方々が来てくれたこと、メッセージをくれたことは、本当に嬉しくて、実は自分が思っていた以上に周りの方々が応援してくれていたんだな、と実感しました。
目黒の住民の方々が、いつの間にか自分にとって家族のような存在になっていて、夜中まで飲みながら、話したりしました。多分これからこの場を離れても、帰る場所になっているのかなと思います。
―都会のレストランと地方のレストランの違いはなんでしょうか?
都会のもろさを実感しました。コロナが流行って全てが止まった時も、レストランは休業したものの、ここの人たちの暮らしは、ほとんど変わっていなかったし、ブレなかった。食材のも地方の方が圧倒的に美味しいし、田舎の人のつながりによって、守られている感があります。ここは安心できる場所だと思います。
今後の展望
― 個人としての今後の展望はありますか?
一時的に東京には戻るものの、やっぱり地方で料理をやりたい気持ちは変わりません。ただ雇われているだけでなく、どんな場所にいても、自分が料理にどんな思いをのせたいのか、生産者が食べたいと思う料理、驚く料理を作っていきたいなと思います。
PIZZERIA GTALIA DA FILIPPOオーナーシェフ 岩澤正和より
都会ではお金のために気づかないようにしてしまっていること、後回しにしてしまうこと、沢山あります。Selvaggioを通して、ゆうだいはなにより人として大切なものに気づきました。
暖かく見守っていただき、教えていただき、期待していただき、成長させていただき、みなさまには感謝申し上げます。ここ愛媛の限界集落ではその大切さに気づき、頭で考えることより心で感じることを身につけられました。
限界集落は人を成長させられる場所だと改めて気づかせていただきました。
ここからはこの大切なことをより多くの人々に伝えていくことがゆうだいの使命です。
食を大切にいただきながら、楽しみながら、都市と地方の想いををつなげて未来を作っていきましょう。
改めて森の国を運営するサンクレアメンバーはじめ、目黒の方々、松野の方々、宇和の方々、愛媛の方々、関わった皆さまに感謝申し上げます。
執筆 / 井上美羽
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